橋梁(きょうりょう)工学の専門家である松村博氏が1998(平成10)年に著した『日本百名橋』(鹿島出版会)は、橋の愛好家にとっての、バイブルのような本である。本書で紹介されている「日本百名橋」を手がかりとして、日本各地の橋を訪ね歩いている方も、決して少なくないだろう。
ちなみに、京都市内の橋で「日本百名橋」に含まれるのは、三条大橋・五条大橋・上賀茂神社の橋殿・渡月橋・東福寺偃月橋(えんげつきょう)、の5橋だが、同書では「百名橋」以外にも全国で20の橋が、「番外」として選定されている。
「番外橋」には、巨大ケヤキの根が川を跨(また)いでいる「木の根橋」(兵庫県丹波市)や、鯨の骨で造られた「雪鯨橋(せつげいきょう)」(大阪市)など、変わり種の橋が多いが、その中で異彩を放っているのが、京都市東山区の「一本橋」だ。比叡山の南西麓に源を発する白川が、南下して知恩院の古門前に差しかかる少し手前に、ごくごく簡素な石の橋が架かっている。
長さが12m弱のこの橋は、縦2列に並べられた切石を石柱橋脚で支えているだけの、実にシンプルな構造をしており、橋幅は60数cmしかない。行政上の名称は「古川町橋」だが、地元では昔から見た目のままに、「一本橋」の呼称で親しまれてきた。
一本橋のすぐ下流には親水テラスが設けられており、平日の朝にそのベンチに腰かけて眺めていると、携帯電話で通話中のハイヒールの女性や、恰幅(かっぷく)の良い背広姿の中年男性、ランドセル姿の小学生など、実に様々な人が一本橋を渡ってゆく。この橋はきっと、日常生活に欠かせぬ「道」でもあるのだろう。
しかしその一方、京都の宗教史との関係から、この橋は意外な別称を併せ持ってきた。
比叡山延暦寺では平安時代から、『法華経』の不軽菩薩行(ふきょうぼさつぎょう)や修験道の不動明王信仰などに基づく、「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」が行われてきた。この行では7年間で1000日にわたり、比叡山中の約300か所の聖地を徒歩で礼拝して回る。
その間の歩行距離は、地球1周に匹敵するほどだし、終盤には9日間にもわたり、水も食物も睡眠もとらずに「不動明王の真言を10万回唱え続ける」という、「明王堂参籠(さんろう)(堂入り)」が課せられる。実際に死者が出ることもあるほどの、荒行中の荒行なのである。
そして、千日回峰行を達成した行者(ぎょうじゃ)は、知恩院の傍らにある粟田口(あわたぐち)の尊勝院に詣で、元三大師(がんざんだいし)(第18代天台座主)に満行を報告するのが決まりだが、その際の入洛時に最初に渡る橋が、一本橋なのだった。この橋が「行者橋」や「阿闍梨(あじゃり)(高僧の敬称)橋」とも呼ばれるのは、そうした由来があってのことだ。
一本橋が最初に文献に登場するのは江戸時代中期で、それ以前の記録は存在しない。しかし、「行者橋」「阿闍梨橋」の名が語り継がれてきた歳月を思うと、その背後に、1000年に及ぶ求道(ぐどう)の歴史が透けて見える。
命がけの荒行で煩悩を超越したであろう阿闍梨が「京都で最初に渡る橋」が、いかなる名橋でもなく、一切の装飾や余剰を排した、簡素の極みのような一本橋だという歴史的事実に、私は深く納得させられるのである。
古川町 万両
まんりょう
古川町商店街にある洋食とおばんざいのお店。母娘2人が心を込めて作る豊富な定食メニューには、新鮮な野菜がたっぷり使われています。持ち帰り用の総菜も人気です。
- 11時~18時30分(L.O.) 日・祝日休業
- 075-525-2400
- 京都市東山区古川町548
- 三条駅下車 東へ徒歩約10分
価格・営業時間・電話番号等が変更される場合がありますので、
おでかけ時には、ご確認くださいますようお願い申し上げます。
- シリーズ29 下鴨神社 輪橋(反り橋)
- シリーズ28 三井寺 村雲橋
- シリーズ27 指月橋
- シリーズ26 東福寺 通天橋
- シリーズ25 上賀茂神社 橋殿
- シリーズ24 喜撰橋
- シリーズ23 星のブランコ
- シリーズ22 泰平閣
- シリーズ21 水晶橋
- シリーズ20 法成橋
- シリーズ19 流れ橋(上津屋橋)
- シリーズ18 天ヶ瀬吊り橋
- シリーズ17 中立売橋
- シリーズ16 近江大橋
- シリーズ15 第11号橋
- シリーズ14 渡月橋
- シリーズ13 川崎橋
- シリーズ12 社家町の石橋
- シリーズ11 大宮橋
- シリーズ10 淀屋橋
- シリーズ9 七条大橋
- シリーズ8 安居橋
- シリーズ7 梶取橋
- シリーズ6 一本橋
- シリーズ5 難波橋
- シリーズ4 祇園巽橋
- シリーズ3 瀬田の唐橋
- シリーズ2 宇治橋
- シリーズ1 三条大橋