第43回
京阪・文化フォーラム
明治維新と東海道五十七次
明治維新を経て、我が国で取り入れられた西洋文明のひとつが鉄道です。明治43年に京阪電車が開業し、従来の交通手段であった舟運、人馬から大きな変革が為されました。今回は、幕末から明治にかけての沿線の歴史を、魅力的な3つの講演からひもときます。
- 平成30年12月2日(日)13時〜16時
- 大阪国際大学 奥田メモリアルホール
- [基調講演] 淀川の歴史と文化 〜京都と大坂をつないだ、もう一つの路〜
- 大阪国際大学国際教養学部国際観光学科准教授
村田隆志(むらた たかし)氏
- [講演] 「近世日本の150年」を伝える『東海道57次』〜学びがいある京阪五宿(守口〜大津宿)と今後の発信について〜
- 東海道町民生活歴史館 館主兼館長
志田威(しだ たけし)氏
- [講演] 明治維新と京阪沿線
- 歴史小説家
門井慶喜(かどい よしのぶ)氏
今回は明治維新150年を記念し、京阪電車開業前の「水の路」「陸の路」にスポットをあてたご講演が行われました。
アートの視点で見る淀川の風景、魅力ある東海道五十七次の見どころ、そして小説家・門井慶喜氏による沿線周辺の歴史と、興味深いお話が次々と展開。大きく頷きながら耳を傾ける観客の方の姿も印象的でした。
■第1部:基調講演「淀川の歴史と文化 〜京都と大坂をつないだ、もう一つの路〜」
第1部は本フォーラムの開催地、大阪国際大学の国際教養学部国際観光学科准教授を務める村田隆志先生の基調講演です。相国寺承天閣美術館学芸員としてご活躍された経験を踏まえ、魅力ある淀川をアートの視点でひもときます。
日本の大動脈として、また移動の道として河川が用いられていた時代。淀川は、人間はもちろん荷物を積んで上り下りするためには欠かせない大切な道でした。京都と大阪を結ぶ船の発着場であった八軒屋浜を描いた作品では三十石船がとても大きく描かれており、貨物運搬の要であることが伝わってきます。そんな淀川は、絵画の分野においてはどう表されているのでしょうか。
まず取り上げたのは、円山応挙。写生を重視し、非常に美しい表現で自然の風景を描き表した画家として知られています。
そんな応挙は淀川の姿を『淀川両岸図巻』にて描き表しています。雲の上から淀川を見ているような角度で、淀川の左岸と右岸を描く非常に壮大な作品。三十石船の姿や白波の立つ様子、また大阪に近づき中洲ができている風景など、1度淀川を往復したぐらいではとても描けない、そんな風景を克明に描いています。
また近年人気を博している伊藤若冲も『乗興舟(じょうきょうしゅう)』という作品で、淀川を描いています。伏見の船着場から淀川で大阪旅をした際の風景を捉えた絵巻で、墨を生かした力強いモノクロ作品です。
現在、樟葉駅から淀川を見ると、何も遮るものがなく非常に広大な風景が見えます。これがちょうど『乗興舟』で描かれている景色とリンクするのだそう。「若冲は250年前、この風景を見ていたのだな」と思いを馳せ、同じように眺めてみてもいいかもしれません。
最後は淀川のほとりに生まれた俳人・与謝蕪村について。蕪村は、江戸時代の母親に対する想いを描ききった『春風馬堤曲』という作品を残しています。
蕪村自身、淀川のほとり・毛馬で生まれた後に実家を出てから一度も帰っていません。帰りたかったけれども帰らなかった、そんな想いが句の中にしっかりと込められています。今回、村田先生による本作の読み下しが配られ、よりわかりやすく名文に触れることができました。
■第2部:講演「『近世日本の150年』を伝える『東海道57次』〜学びがいある京阪五宿(守口〜大津宿)と今後の発信について〜」
第2部は元JR東海不動産株式会社社長で、東海道町民生活歴史館 館主兼館長を務める志田威先生によるご講演です。明治維新から平成まで東海道五十七次の歴史を追いながら、今後五十七次への理解を深めるためにどのような取り組みをすべきか、ご提案くださいました。
歌川広重の絵で広く知られるようになった「東海道五十三次」ですが、本来は加えて「伏見宿」「淀宿」「枚方宿」「守口宿」そして「高麗橋」を終点とした五十七次が正しい東海道とされています。今回は明治150年を記念し、明治において重要な拠点となった東海道五十七次についてのお話しになります。
鳥羽街道・伏見宿で始まった「鳥羽伏見の戦い」では、新政府軍と幕府軍が衝突。この戦いの形跡を今に残すのが伏見宿にある料理屋さんの銃弾跡で、日本の歴史を変えた非常に大きな出来事を忠実に伝えてくれています。
また東征軍参謀・西郷隆盛と幕臣・山岡鉄舟の駿府会談においては、徳川慶喜が護身用にと鉄舟に手渡したとされるピストルが、鉄舟が逃げ込んだ望嶽亭藤屋(ぼうがくていふじや)に現存。現在この場所は資料館として運営され、先のピストルや隠し階段などを見学することができます。
江戸城無血開城の前には、西郷隆盛と勝海舟が江戸愛宕山で花見をしながら会談していたことが明らかになっています。その一方、大坂遷都を意図し、明治天皇の大坂行啓が持ち上がります。天皇はこれに向かうため、守口宿・難宗寺を行在所として一泊されました。翌日には守口宿・盛泉寺に賢所(内侍所)を設け、三種の神器を奉安して朝廷行事を行い、明治天皇は大坂北御堂で1ヶ月半ほど御親政(天皇が政治を行うこと)されたとの記録も残っています。これらの資料は、守口市にある「守口文庫」にて閲覧することができます。
東海道は遺構こそ少ないものの、幅広く歴史の舞台となった場所です。このため重要な歴史の息吹が今もまだ感じられ「歩いて学ぶ東海道」と言われています。また東海道五十七次には多くの資料館が置かれ、明治以降の150年をさまざまな角度から伝えてくれます。
特に延伸された東海道(髭茶屋追分〜大坂)は、五十三次区間とは趣が異なるため大変興味深く、また学びがいのある街道であると言えます。
最後には京阪五宿をPRするために、キーワードの絞込みやステッカー、案内板での周知の重要性を案内。歴史教育面からの働きかけや教育関係者の関心を引き上げるなど、まだまだ知られていない“五十七次”の発信をご提案されました。
■第3部:講演「明治維新と京阪沿線」
第3部は2018年1月に『銀河鉄道の父』で第158回直木賞を受賞した歴史小説家、門井慶喜氏によるご講演です。小説執筆の取材などで日本の歴史について調べる機会が多いご経験を元に、幕末・明治維新と京阪沿線のつながりをお話しいただきました。
京都の外側から長州藩が攻め込んで起きた戦い「禁門の変」で敗れた長州藩は、今の大山崎にある宝積寺(ほうしゃくじ)へと逃げ込みます。その宝積寺も土方歳三に攻め込まれ、結局ここでも長州藩は敗れてしまいます。
この時、土方は大山崎の宝積寺までどのようなルートを通ったのでしょう。記録によると、伏見から淀川沿いに橋本あたりまで南下し、そこから船で淀川へ渡った後、徒歩で現地まで向かったとのこと。じつはこのルートはとても遠回りなのですが、こうしなければならないほど京都から大阪へのルートは限られていたということがわかります。橋本にあった渡しも、軍が利用できるほどの相当な大きさだったのではないかと想像できます。
禁門の変でも大山崎でも失敗した長州藩ですが、仲違いしていた長州と薩摩を坂本龍馬が取り持ち同盟を結ぶことに成功。長州は、少なくとも薩摩が敵ではないのだから、と幕府に戦いをしかけ完勝に至りました。
負けた幕府は南に下りて伏見に行きますが、ほどなくしてここにも薩長が攻め込み戦争が始まります。これが「鳥羽伏見の戦い」。「現在の場所でわかりやすく言うと丹波橋・中書島の戦い、ということになりますね」と門井先生がお話しされ、会場は和やかな笑いに包まれました。
伏見を追われた将軍・徳川慶喜は、大坂城へとこっそり逃亡。今でいう京橋口あたりから身分の低い人を装って天満橋に行き、八軒屋浜で船に乗り、大阪湾で軍艦に乗って江戸に北上したようです。
このように、幕末の重要な舞台になった淀川左岸は、幕末の重要人物にとっても市井の人々にとってもなくてはならない道であったことが想像できます。
最後には、門井先生の直木賞受賞作『銀河鉄道の父』にちなんだ話に。本作は、童話作家・宮沢賢治の父・宮沢政次郎を主人公に据えた作品であり、執筆の際には彼らの実際の歩みを徹底して調べたそうです。そんな中仮説として湧き上がったのが、大正10年4月に京都旅行へと訪れた賢治・政次郎親子が京阪電車に乗ったのではないか、ということ。
まず伊勢神宮を目指して山田駅に向かった2人は、無事お参りを済ませて旅館に泊まります。そこから大津へ行って船に乗り、坂本に着いて比叡山へ。1日で山の登り下りをした後に旅館に泊まり、その朝三条小橋のたもとから七条大橋東詰にあった新聞社・中外日報へ赴きます。そこから京都駅へ行くのですが、この時三条小橋から七条大橋東詰まで何で行ったのか。前日に比叡山を登り下りしていること、そして政次郎の年齢を考慮すると、果たして……。想像をかきたてるお話に、会場も大きな拍手。歴史と現代をつなぐ興味深いお話しが展開され、多くの方が魅了されました。
京阪・文化フォーラムは、今後も様々なテーマで開催いたします。みなさまのご参加をお待ちしております。
- 京阪グループ開業110周年記念事業「記念フォーラム」
- 第44回 京阪沿線の城と歴史発見
- 第43回 明治維新と東海道五十七次
- 第42回 花と建築 建築と華
- 第41回 今、なぜ明治維新なのか。〜西郷どんの実像〜
- 第40回 東海道五十七次と大津宿・伏見宿・淀宿・枚方宿・守口宿
- 第39回 大政奉還、鳥羽伏見の戦い
- 真田幸村の足跡を辿る —九度山から大坂の陣まで—
- 第38回 国宝 石清水八幡宮本社
- 真田丸の戦略と真田信繁(幸村)の実像に迫る!
- 第37回 馬と人間の歴史
- 第36回 光秀と秀吉の天下分け目の山崎合戦
- 第35回 中世の京都町衆と祇園祭
- 第34回 彩られた京都の古社寺
- 第33回 水辺の歴史 大川沿いにある大坂の陣戦場跡
- 第32回 神に祈った武将たち -石清水八幡宮と源平・足利・織田・豊臣・徳川-
- 第31回 天下統一の夢 -信長と光秀の光と影-
- 第30回 信仰とお笑いの狭間に落語
- 第29回 平清盛と平家物語
- 第28回 葵祭
- 第27回 酒は百薬の長 落語は百楽の長
- 第26回 今に生きる熊野詣