京都三大祭・三勅祭の一つである、葵祭の歴史や平安時代の文化を探るフォーラム。また、鳴鳳雅楽会による舞楽をお楽しみいただきました。
- 平成24年3月20日(祝・火)13時~16時30分
- 京都教育文化センター
- [講演] 葵祭とその歴史
- 賀茂別雷神社(上賀茂神社)宮司
田中 安比呂(たなか やすひろ)
- [講演] 描かれた乱世の上賀茂神社
- 奈良大学教授
下坂 守(しもさか まもる)
- [実演] 舞楽(解説付き)
- 鳴鳳雅楽会(めいほうががくかい)
毎年5月15日に京都で行われる「葵祭」。今回は、優雅な行列で有名なこのお祭りをテーマに開催されました。
会場となったのは京都教育文化センター。360席もあるホールにはご年配の方から大学生まで多数ご参加いただきました。開場後すぐ、前の席から埋まっていき、20分ほどでほぼ満席の状態に。葵祭の関心の高さがうかがえます。
まずは奈良大学教授の下坂守先生による、葵祭についての簡単な説明から始まりました。上賀茂神社と下鴨神社の祭礼である葵祭ですが、この呼び名は実は通称。「賀茂祭(かもまつり)」が正しい名称となります。平安時代から続く京都三大祭の一つとして名高いだけでなく、勅祭の一つとして極めて特別なお祭りでもあります。
続いて本題に入り、各講師の方から葵祭の成り立ちや戦国時代(16世紀頃)の様子について、多数のスライド写真や映像を使って紹介されていきました。
■第1部
最初の講演は上賀茂神社の田中安比呂宮司による「葵祭とその歴史」。先ほどの下坂先生の話にあった「勅祭」について説明がありました。勅祭とは、天皇の代理(勅使)が国民の幸せと国の繁栄を祈るお祭りのことで、全国に17あります。その中でも、京都・賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の「賀茂祭」、石清水八幡宮の「石清水祭」、奈良・春日大社の「春日祭」は、明治天皇によって昔からの形で行う勅祭として定められ、「三勅祭」と呼ばれています。
さて、いよいよ本題です。
そもそも葵祭はどのようにして始まったのでしょうか? その起源は古く日本の歴史や神話に深く関わっています。
天武天皇の命で稗田阿礼(ひえだのあれ)が声に出して読んでいた伝承を、元明天皇の命により太朝臣安萬呂(おおとどのやすまろ)が書き記し、編集したものといわれている古事記。その中に、「神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと・後の神武天皇)が熊野(和歌山県)の山中で道に迷ったとき、三本足の大きな烏=八咫烏(やたがらす)が道案内をした」という表記があります。この八咫烏、実は、上賀茂神社の祭神「賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)」の祖父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)であることが、「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」という書物に記されています。このように、葵祭の話をするときには、古事記をはじめとする神話がとても大切なのだそうです。
賀茂建角身命の娘・玉依比売命(たまよりひめのみこと)の子である賀茂別雷神は、天の神の子でありました。一度は、父である天つ神のいる天に昇ってしまいますが、母・玉依比売命らが嘆き悲しみ、戻って来ることを願ったため、「神である自分が降りてくる場所をまつりなさい、そうすれば降りていきますよ」と神託し、上賀茂神社の北西にある神山(こうやま)に降り立ったのでした。その様子が元になり、今に伝わる賀茂祭(葵祭)となったのでした。
また、神社に今も生きる神話として、葵祭で行われている神事や神具を、スライドを使って紹介されました。例えば、神社に飾られる二葉葵とかつらの葉を束ねたものを取り上げ、特に葵には霊力が宿る植物と考えられていたこと。他にも、走馬(そうま)の儀、御祓(みそぎ)、斎王・斎王代の制度などの説明もありました。
最後に、葵祭の神事、特に上賀茂神社で行われるものに重点を置いた映像を使って紹介されました。
葵祭が、上賀茂神社・下鴨神社の単なるお祭りではなく古来より国の繁栄を願って行われていた神事だったことについて、非常に分かりやすく興味が持てた内容でした。
■第2部
続いて下坂先生による講演「描かれた乱世の上賀茂神社」です。
まずは上賀茂神社の変遷についての説明です。スライドを使って室町時代に描かれた上賀茂神社の境内図や、室町時代以降に描かれた「洛中洛外図」などの絵画が紹介されました。本殿はもとよりその社殿のほとんどが、現在と変わらず同じ場所にあり、幾たびもの戦乱を経てた京都において、上賀茂神社は一度も場所を変えていないそうです。
その上で、1400年もの歴史を持つ葵祭はどうだったかを、中世の文献から読み解いていきました。
古代より格式のある賀茂祭は、天皇を中心とした朝廷によって華々しく行われていました。かの時代には「国の安泰を誰が祈るのか」はたいへん重要な問題でしたが、当然、古代には最高位の権力者である天皇自らがこれを行っていました。
やがて武家社会となると幕府が朝廷に代わりこのお祭りを主催するようになります。しかし、応仁・文明の乱以降、乱世と呼ばれた戦国時代になり幕府の力が衰えると祭も衰退し、かろうじて神事だけが毎年、神社で執り行われるという状態が長く続きます。それが葵祭として復活し、往時の華やかなお祭りが再び都大路に帰ってきたのは江戸時代になってからのことです。
文献では、賀茂競馬(かもくらべうま)の様子を記していたり、お祭りの準備や火災などの事件などを書き留めていたり、葵祭周辺の出来事を表した文献が非常に多く、戦乱の時代であっても人々がいかに関心を持っていたかをうかがうことができました。
■第3部
そして最後は、鳴鳳雅楽会(めいほうががくかい)の皆さんによる雅楽の演奏と舞の披露です。
演奏される楽器は管楽器の笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)、打楽器の鞨鼓(かっこ)、楽太鼓(がくだいこ)。またこの他に、打楽器の鉦(かね)や、絃楽器の琵琶、箏(そう)という楽器もあります。オーケストラであれば指揮者がいますが、雅楽には存在せず、代わりに鉦や鞨鼓がリズムをとり演奏されます。
お互いの音色を確かめ合う「音合わせ」から始まり、そのまま流れるように演奏されたのは「越天楽(えてんらく)」。次に「陪臚(ばいろ)」という「越天楽」よりリズムの早い曲が演奏されました。舞楽「蘭陵王(らんりょうおう)」では、面を付け赤い衣装を身にまとった舞人が登場し、雅楽の音色をバックに雅な舞が披露されました。締めとして、人を見送る際に演奏される曲「長慶子」の演奏で終了です。
楽器とその音色の特徴や曲の説明を受けてから生演奏を聴いたり、実際に楽器を手にとって演奏する貴重な体験コーナーもあり、雅楽に少し親しみを持つことができました。
これまでは市内を練り歩く行列を見て、ただ美しいと思っていただけの葵祭。それが、歴史や文化を知って多方面から見ることで、もう一歩踏み込んだ楽しみ方ができるようになったように思います。葵祭をはじめとするお祭りの意義、それぞれの神事の意味を知り、もっと理解していきたいと思った3時間半でした。
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