沿線おでかけ情報
『源氏物語』の作者で、今注目を集めている紫式部。京阪沿線には紫式部ゆかりの地がたくさんあります。このコーナーでは、一年にわたってそれらのスポットを取り上げて解説します。
鞍馬寺
「北山のなにがし寺」の有力候補
『源氏物語』の主人公・光源氏と最愛の妻・紫の上。ふたりの関係は、「北山のなにがし寺」近くの庵に暮らす少女・若紫(後の紫の上)を光源氏が見初めることから始まります。
熱病である瘧病(わらわやみ)にかかった光源氏は、ある人に「北山のなんとかという寺に優れた修行僧がいます。病を治すにはそこへ行くと良いのでは」と勧められ、人目を忍んでその寺へ向かいました。光源氏が寺の付近を散歩していると、小柴垣がきれいな小さな庵に、愛しい継母・藤壺によく似た少女が老尼といるのを見つけます。その少女こそ若紫でした。光源氏は少女を引き取り、理想の女性に育てあげ、後に妻(紫の上)とするのです。
この「北山のなにがし寺」のモデルには諸説ありますが、桜の見頃が晩春であることや、九十九(つづら)折りの山道が続き、後方の山から京の都が一望できることなどが物語に書かれており、それらに当てはめて考えると鞍馬寺が有力です。
鞍馬寺は、寺伝によると770(宝亀元)年に奈良の唐招提寺を開いた鑑真(がんじん)和上の高弟・鑑禎(がんちょう)上人が現在の地に毘沙門天をまつったことを起こりとする古刹。仁王門から本殿までは約1キロにわたって曲がりくねった山道が続いています。
光源氏はこの「なにがし寺」で『涙を誘う滝の音がする』ということを歌の中で詠んでいます。それにちなんで後世の人が名付けたのでしょう、仁王門からおよそ300メートル上がったところには今も「涙の滝」と呼ばれる小さな滝が流れています。その清らかな音を聞きに、鞍馬寺を訪れてみませんか。
鞍馬寺
鞍馬寺の仁王門。この門の向こうは浄域となる。
境内にある涙の滝。そばに光源氏の歌を記した駒札が立つ。
光源氏が若紫を見初めるシーンを描いた源氏絵。〈源氏物語絵色紙帖 若紫 詞青蓮院尊純〉
ColBase
廬山寺
先祖から受け継いだ「堤第」跡に立つ寺院
京都御苑の東側にたたずむ廬山寺は、紫式部の邸宅跡として知られています。紫式部が生まれるよりもずっと前の平安時代前期、廬山寺のある場所には紫式部の曽祖父にあたる中納言藤原兼輔の邸宅が立っていました。当時の鴨川は現在よりも川幅が広く、兼輔の邸宅はその堤にあったことから、邸宅は「堤第」、兼輔は「堤中納言」とも呼ばれていたそうです。
堤第は兼輔から子の雅正、孫の為時へと受け継がれ、為時の娘である紫式部もこの堤第で育ちました。紫式部は20代後半で藤原宣孝と結婚しますが、当時の結婚は夫が妻の家へ通う「妻問婚」。宣孝とは3年ほどで死別しますが、その結婚生活や、その後の『源氏物語』や『紫式部日記』の執筆も堤第で行われたと伝えられています。
当時、堤第の付近には中川と呼ばれる川も流れていました。その風景は紫式部のお気に入りだったのでしょうか、『源氏物語』の中にもたびたび登場します。光源氏と長く関係が続いた花散里や、光源氏を拒んだ空蝉が身を寄せていた紀伊守の住まいは〝中川のあたり〟にあると書かれています。
現在、廬山寺には平安王朝をイメージした庭園「源氏庭」があり、初夏から秋にかけてはキキョウが咲き誇ります。美しい庭を眺めながら、平安時代に思いをはせてみませんか。
廬山寺
廬山寺本堂。1794(寛政6)年に光格天皇の仙洞御所の一部を移築して建立された
廬山寺にある「源氏庭」。白砂と苔で描いた優美な曲線で平安王朝の趣を表現している。源氏物語の中でキキョウは朝顔として登場する
光源氏が、中川付近にある紀伊守の住まいで囲碁を打つ空蝉らを垣間見ている様子が描かれている「源氏絵鑑帖」空蝉〈伝土佐光則筆〉(宇治市源氏物語ミュージアム蔵)
葵祭
物語の名場面「車争い」を想像しよう
『源氏物語』 九帖 「葵」に登場する「車争い」。これは、祭りなど多くの人が集まる場所で、主人を乗せた牛車の置き場を従者たちが争うこと。紫式部だけでなく、清少納言も随筆 『枕草子』の中でこの事に触れています。
『源氏物語』で描かれている「車争い」は、賀茂祭(かもまつり)の儀式のひとつで、祭りに奉仕する女性・賀茂斎院(かものさいいん)が身を清める「御禊の儀」の場で起こりました。この行列に光源氏が加わることになり、その姿をひと目見ようと多くの人が通りに詰めかけましたが、その群衆の中には光源氏の年上の恋人・六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の車もありました。その頃、御息所と光源氏は疎遠になっていて、それを心細く思っていた御息所が人知れず見物に出かけていたのです。そこへ到着するのが正妻・葵の上の牛車。六条御息所の車は押しのけられ、これに深く傷ついた御息所はその後平常心を失い、生きながら怨霊となって葵の上を苦しめてしまいます。
現在、賀茂祭は葵祭として親しまれ、5月15日に平安装束を身にまとった行列が京都市内を練り歩く「路頭の儀」が有名。それに先駆けて様々な前儀があり、物語に登場する「御禊の儀」は「斎王代御禊(さいおうだいぎょけい)の儀」として5月4日に行われています。場所は上賀茂神社と下鴨神社、隔年交代ですが、今年は下鴨神社が斎場。物語のシーンや登場人物の思いを想像しながら、その儀式を見にでかけてみましょう。
葵祭
下鴨神社での斎王代御禊の儀の様子。 行列に参加する女性約40人が、境内にある「みたらしの池」に手を浸して身を清める。
車争いの様子を描いている「源氏絵鑑帖」葵〈伝土佐光則筆〉(宇治市源氏物語ミュージアム蔵)
平等院
平安時代の人々のあこがれの地
宇治駅
宇治川の西岸に立つ平等院は、一〇五二(永承七)年に藤原道長の子・頼通が、道長の別荘を寺院に改めたもの。道長と言えば、紫式部が仕えた中宮彰子の父であり、時の最高権力者。そんな道長の別荘は、元は『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルのひとりとされる源融(みなもとのとおる)の別荘で、その後、宇多天皇らが所有したとも言われています。本尊をまつる鳳凰堂(正式には阿弥陀堂)には、平安時代の貴族の邸宅によく使われた寝殿造の影響が見られます。
『源氏物語』の四十六帖「椎本」には、奈良での長谷詣の帰り道、光源氏の孫・匂宮が宇治にある光源氏の子・夕霧の別荘に立ち寄って管絃の遊びを催すシーンがあります。この別荘は光源氏から夕霧が譲り受けたもので、四十七帖「総角」でも紅葉狩りの舞台になっています。
平安時代初期から貴族たちの別荘地として人気があった風光明媚な宇治の地。紫式部の生きた平安時代、宇治には平等院のような優美な建物が豊かな自然に包まれるように立ち並んでいたのかもしれません。
平等院
©平等院
現在の鳳凰堂。平安時代の遺構で、国宝に指定されている。
提供:宇治市源氏物語ミュージアム
平安時代の宇治の想像図。美しい自然に包まれた宇治川の両岸に貴族の別荘が立ち並んでいた。
寝殿造の模式図。現在の鳳凰堂によく似ている。
宇治市源氏物語ミュージアム
国内唯一!『源氏物語』専門の体験型博物館
宇治駅
『源氏物語』の最後の十帖「宇治十帖」の主な舞台となった宇治にあるのが「宇治市源氏物語ミュージアム」。国内でもめずらしい『源氏物語』と平安時代の文化をテーマにした博物館で、展示物を見るだけでなく、実際に様々な体験ができるコーナーや映像展示室などもあり、楽しみながら、その魅力に触れることができます。さらに、映像展示室で上映されているオリジナルアニメをよく見ていると原作を思わせるシーンも。初めて『源氏物語』に触れる人はもちろん、長年のファンも楽しめる博物館です。
宇治市源氏物語ミュージアム
感じる 六条院(模型)
『源氏物語』の主人公・光源氏の邸宅・六条院は約63,500m2、京セラドーム大阪ふたつ分ほどの広さがあります。精細な模型の中には牛車も置かれており、すぐ隣に展示されている実物大の牛車と見比べてみると、六条院の広大さを実感することができます。
体験する 垣間見(かいまみ)
平安時代、貴族の女性が男性に顔を見せることはありませんでした。しかし、男性が垣根などの外から偶然女性の姿を見て恋心を抱くことがありました。これが垣間見です。室内の明かりの効果によって、外にいる男性は、女性に気づかれることなくその姿を見ることができたのです。
浸る 「宇治十帖」物語シアター
「宇治十帖」のシーンを再現した模型などが照明による演出で暗闇に浮かび上がります。その風景を見ていると、平安時代に入り込んだような感覚になります。
光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館
大河ドラマの世界を体感しよう
石山寺駅
紫式部が『源氏物語』の着想を得たと言われる滋賀県大津市の石山寺。その境内にある明王院に「大河ドラマ館」がオープンします。「光る君へ」のキャスト・スタッフのインタビューなどここでしか見られないオリジナル映像が上映される4Kシアターのほか、撮影の舞台裏に迫った特集パネル、撮影で実際に主人公まひろ(紫式部)が身に付けた衣装や小道具などが展示されます。
同時開催
源氏物語 恋するもののあはれ展
境内の世尊院では、「恋」をテーマに平安時代の文化を楽しく体験できる企画展を開催。人気イラストレーターによる源氏物語の和歌を題材にした描き下ろしイラストや、オリジナル楽曲によるミュージックビデオが登場。さらに色・花・香りを通して平安時代の文化を体感することもできます。
光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館
会場となる石山寺明王院
同時開催
源氏物語 恋するもののあはれ展
境内の世尊院では、「恋」をテーマに平安時代の文化を楽しく体験できる企画展を開催。人気イラストレーターによる源氏物語の和歌を題材にした描き下ろしイラストや、オリジナル楽曲によるミュージックビデオが登場。さらに色・花・香りを通して平安時代の文化を体感することもできます。
石山寺
月光に導かれて生まれた
『源氏物語』
石山寺駅
今回ご紹介するのは、滋賀県大津市にある石山寺です。石山寺には紫式部がこの地で『源氏物語』の着想を得たという伝説があります。
宮仕えをしていた紫式部が、中宮に新しい物語をせがまれこの地に籠っていた時に、びわ湖の湖面に映る月を見てふと “光る君〟 の姿が思い浮かんだそう。その時に書いたのが『源氏物語』の十二帖『須磨』にある「今宵は十五夜なりけり」と始まる一節だと言われています。
平安時代、貴族の間で都から離れた社寺を参詣する物詣(ものもうで)が流行しました。宮中の女性たちに特に人気だったのが石山詣。石山寺の本尊・如意輪観世音菩薩〈秘仏〉が、京都の清水寺、奈良の長谷寺とともに三観音に数えられるほど信仰を集めていたこと、また、京の都からのアクセスが良く、雄大なびわ湖の風景を楽しめることもその理由だったようです。
平安時代の女性たちが癒やしを求め、紫式部が心を研ぎ澄ませるために向かった石山寺を訪れてみませんか。
石山寺
平安時代に再建された本堂〈国宝〉。写真手前の火灯窓の小間『源氏の間』に紫式部が籠ったと伝えられている
寺名の由来にもなった硅灰石(けいかいせき)が境内で圧倒的な存在感を誇る。上に立つ多宝塔も国宝。1194(建久5)年の建立で日本最古のものとして知られている
江戸時代の画家・土佐光起の筆による「紫式部観月図」〈石山寺蔵〉。秋の名月を眺めながら筆を持つ紫式部が描かれている
[ RECOMMEND ]
|編集部のブログ|2024/07/24
“飛び込むアート”を体感!堂島リバーフォーラムでポスト印象派の名画を満喫しました【大阪】
「K PRESS編集部のブログ」を更新しました
|お知らせ|2024/07/18
2024年の夏は京阪沿線で遊びつくそう!イベントや展覧会、レジャースポットなど、おでかけ先がいっぱいです【大阪/京都/滋賀】
「夏のおでかけ特集2024」を公開しました
|京都ツウ|2024/07/12
伝統行事や、京町家、季節のお菓子など、暮らしに根付いた京都の風習【京都】
「京阪的 京都ツウのススメ」を更新しました
|大阪ブルテオン|2024/07/01
大阪ブルテオン(旧パナソニックパンサーズ)の選手が『源氏物語』の舞台となった宇治のまちを散策。抹茶スイーツも【京都】
「京阪ええとこ 探検!発見!大阪ブルテオン!!」を更新しました