| 拝観時間 | 8時45分~16時 |
|---|---|
| 拝観料 | 大人600円・中高生350円・小学生200円 |
| 電話 | 075-841-0096 |
| アクセス | 地下鉄東西線 二条城前駅下車すぐ |




二条城 二の丸御殿 黒書院一の間
京の世界遺産のなかで唯一、社寺ではなく城である。
1603年、徳川家康が朝廷から将軍職を賜った年に、上洛時の宿泊所として築城。「城というより邸宅のよう」という意味合いから、「二条亭」などとも呼ばれていた。
しかし、家康が豊臣秀頼と会見したり、大阪冬の陣、夏の陣に出陣するなど、歴史的に重要な役割も果たす。
雁行型に並んだ6つの棟からなる建築群は、創建当時のまま現存する国内でも数少ない御殿建築。

二条城 唐門
重厚な「唐門」の先にある「車寄(くるまよせ)」の装飾をはじめ、重要文化財千十六面を含む三千面以上の障壁画に彩られ、豪華な中にも武家らしい力強さを感じる傑作である。
やがて3代家光の時代に拡張され、天守閣や本丸御殿が整えられたが、後に焼失。本丸部分は明治期に桂宮御殿の主要部が移築されたが、天守閣が再建されることはなかった。
家光の登城以後、230年間も城主不在のままだった二条城。15代慶喜が大政奉還を発表した時には、庭園の水は枯れていたという。
こうして徳川幕府の誕生と終焉を見届けた城は、明治政府の手にゆだねられて離宮となる。やがて昭和の初めには京都市が管理する場所となり、市民の財産にして世界遺産となった。


龍安寺 鏡容池
1450年、室町幕府の大名、細川勝元により創建された禅寺である。勝元が自分の領地と引き換えにして得たこの場所は、平安時代には天皇ゆかりの寺があった名勝地。
その面影を残す「鏡容池(きょうようち)」は、衣笠山を借景とした京都屈指の広大な名池で、江戸時代の京都案内本「都名所図会(みやこめいしょずえ)」にも紹介されている。
しかし、同じ境内にありながら、この本ではほとんど触れられていない庭園がある。それが、かの有名な「石庭」だ。
幅25メートル、奥行き10メートルの閉ざされた空間の中にあるのは、一面の白砂と15個の石のみ。他の名庭に比べると戸惑うほどのシンプルさだ。制作年代も作者も不明、つくられた背景や理由も定かではない。
15個あるはずの石が、どこから眺めても1つ少なく見えること。塀が奥に行くほど低くなり、遠近法で実際より広く見えること。

龍安寺 石庭
簡素なつくりの中には、いくつもの巧妙な仕掛けや工夫が込められている。しかし真の意図はどこにも明らかにされていない。すべての答えは、鑑賞する者にゆだねられている。
だからこそ人はこの庭に向きあうと、なぜだろう、と問いかけたくなる。自分自身の心の中にある、解けない謎を見つめるように。


西本願寺 御影堂
正式には「本願寺」。日本中に約700万人の門信徒と約1万の所属する寺院を持つ、仏教最大の宗教法人「浄土真宗本願寺派」の本山だ。
鎌倉時代に宗祖、親鸞聖人の廟堂を東山の大谷に建てたのがはじまり。以後、浄土真宗の広まりとともに発展する一方で、その勢力を恐れた他宗派や織田信長の攻撃を受け、山科、大坂石山、紀伊、貝塚を転々とした。やがて豊臣秀吉の時代、ようやく大坂天満から現在の七条堀川へ落ち着いた。
しかし、こうした遍歴を経ながらも寺は成長。天満から移築された「御影堂」は世界最大級の木造建築とされ、並び立つ「阿弥陀堂」とともに訪れる者を圧倒する。

西本願寺 飛雲閣
さらに、境内は華麗な桃山文化を伝える文化財の宝庫でもある。壁から欄間、天井までを極彩色の絵画や彫刻が埋めつくす「書院」。多様な形式の屋根を絶妙に組み合わせた「飛雲閣(ひうんかく)」。緻密な彫刻に時を忘れて見入ってしまうことから「日暮らし門」とも呼ばれる「唐門」など。
しかし、全国から信徒たちを引きつけるのは、宝物の輝きではない。まばゆい美の殿堂でありながら、それ以上に、ここが日本を代表する信仰の中心地であることを、人々の拝む姿を通して実感する。

京の世界遺産が価値を認められた、大きな理由のひとつが庭園です。形の美しさはもちろん、周囲の自然を取りいれた借景や植栽で、季節ごとに風情を感じられるよう工夫されているのは、四季のある日本ならでは。ほかにも「仁和寺」の御室桜や「平等院鳳凰堂」の藤棚、「清水寺」の紅葉、「金閣寺」の雪景色、「上賀茂神社」「下鴨神社」の葵祭など、その時季にしか見られない美がある世界遺産。いろいろな季節に訪れることで、何度でも新しい表情に出会えます。