
「保元・平治合戦図屏風(左隻・一部)」
江戸時代 京都・仁和寺蔵
保元の乱は、鳥羽上皇の死後を狙う後白河天皇派と崇徳上皇派の後継者争い。これに勝利した後白河天皇の元で起きたのが、派閥争いの平治の乱。2つの戦いで勝者に与していた清盛は、権力を手中にします。
古代大輪田泊の石椋
日宋貿易に力を入れていた平清盛は、1162(応保2)年に大輪田泊(現在の神戸港)の改修を開始。瀬戸内海航路を整備します。また1168(仁安3)年に出家した清盛は、翌年には大輪田泊に近い摂津福原に居を構え、ここから京都の政治を見守るように。日宋貿易では、宋銭の輸入により国内の経済活動が活発になりました。
| ゆかりの地 | 古代大輪田泊の石椋 |
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新熊野神社 本殿
平清盛の妻・時子の妹・滋子と後白河上皇との間に皇子(後の高倉天皇)が生まれると、両者の関係はさらに親密になります。清盛は後白河のため、平家の本拠地・六波羅一帯に新熊野神社や三十三間堂などを創建。そして、清盛の娘・徳子が後白河の養女として高倉天皇に入内、清盛は天皇の外戚となり一層関係が深まりました。
| ゆかりの地 | 新熊野神社、三十三間堂、六波羅蜜寺、六道珍皇寺 |
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勢力を増す平清盛に、不満を感じる後白河法皇。それを察した清盛は1179(治承3)年11月、数千騎という軍を率いて福原から上洛します。突然のクーデターに法皇も一度は和解の姿勢を見せますが、清盛は太政大臣ら39名を解任。法皇を平安京の南にある鳥羽殿に幽閉します。これにより、清盛はますます勢力を強めました。
| ゆかりの地 | 法住寺 |
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宇治川先陣の碑
平家の独裁に反感が高まる中、後白河法皇の皇子・以仁王と源頼政は打倒平家を計画。1180(治承4)年、以仁王は諸国の源氏に平家を討つ令旨を出しますが、平清盛にばれてしまいます。以仁王と頼政は逃げますが、宇治で頼政は自害。以仁王も討ち取られますが、この挙兵が治承・寿永の乱に発展します。
| ゆかりの地 | 橋寺、宇治川先陣の碑、平等院 |
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※年齢は数え年