湖都から古都へ 鉄の道

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京都エリア 蹴上〜三条京阪〈地下鉄東西線〉

  • 旧京津線最大勾配区間
  • 蹴上インクライン
  • ねじりまんぽ
  • 旧京津線跡
  • 平安神宮
  • 三条駅

1蹴上駅周辺

  • 蹴上駅 過去の写真
  • 蹴上駅 現在の写真
  • 旧京津線/地下鉄東西線 蹴上駅 1912(大正元)年
    京津電気軌道 蹴上駅として開業
    1925(大正14)年
    合併により京阪電気鉄道 蹴上駅となる
    1997(平成9)年
    御陵ー京津三条路線廃止に伴い廃止
    地下鉄東西線 蹴上駅開業

旧京津線九条山—蹴上

蹴上浄水場前を走る200系
蹴上浄水場前を走る200系
九条山駅
九条山駅
京津線 かつての最大勾配区間

逢坂山の勾配61‰に驚いた方、京津線にはかつてこれを超える坂があったのをご存じでしょうか。1997(平成9)年に京都市営地下鉄東西線開通によって御陵駅以西が廃線になるまでは、九条山駅が京津線の中で最も標高が高く、九条山の麓、蹴上駅への走行はまるでジェットコースター。その勾配は66.7‰で、かつてJRで最大勾配を誇っていた信越本線の碓氷峠(横川—軽井沢)と同じ勾配。奇しくもこちらも京津線(御陵駅以西)と同年に廃線となりました。

◎地下鉄蹴上駅下車すぐ

蹴上インクライン

バーロウ社製レール
バーロウ社製レール
左:犬釘、右:亀釘
左:犬釘、右:亀釘
インクラインの"鉄の路"な見どころ

蹴上インクラインの見どころは、桜と舟だけではありません。足元のレールに意外な見どころが隠されています。使用されているレールは、日本製鉄、八幡製鉄、イギリスのバーロウ社をはじめ、アメリカ、フランス、ドイツなどと様々。レールを留めるために使われている釘もイギリス式「犬釘」、アメリカ式「亀釘」とそれぞれ形が異なります。
蹴上インクラインに使われているバーロウ社のレールは75ポンド。1889(明治22)年の敷設時に日本で一般的だった鉄道のレールは60ポンドで、75ポンドレールが採用されたのは14年後の1903(明治36)年であることから、日本最古の75ポンドレールではないかと言われています。バーロウ社のレール計9本のうち、刻印がはっきり残るのは1本だけ。どこにあるか見つけるのも一興です。
» 蹴上インクラインについてはこちら

◎京都市左京区南禅寺福地町
◎地下鉄蹴上駅下車 北東へすぐ

ねじりまんぽ

下:1952(昭和27)年頃のねじりまんぽ
下:1952(昭和27)年頃のねじりまんぽ
汽車・電車以外の利用では現存する唯一の例

言わずと知れた蹴上のねじりまんぽですが、こちらもちょっと違う目線で見てみましょう。そもそもねじりまんぽとは、線路と河川/道路が直角ではなく、ある程度の角度をもって交差する場合、線路と直角にレンガを積んでいくために、アーチがねじれて見えるのです。これをねじらず、レンガを真っ直ぐ積むと、たちまち崩れてしまうのだそう。この蹴上のねじりまんぽは正確には粟田口隧道といい、現存するねじりまんぽの中でも唯一舟用のもので、土木学会選近代土木遺産Aランク、国の史跡に指定されています。かつて京津線がこのあたりの地上を走っていた時代には、ねじりまんぽを臨む、蹴上発電所近くに蹴上駅がありました。
» ねじりまんぽの扁額についてはこちら

◎京都市左京区南禅寺福地町
◎地下鉄蹴上駅下車 北へすぐ

2東山駅周辺

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  • 東山駅 現在の写真
  • 旧京津線 東山三条駅/地下鉄東西線 東山駅 1912(大正元)年
    京津電気軌道 古川町駅として開業
    1925(大正14)年
    合併により京阪電気鉄道 古川町駅となる
    1949(昭和24)年
    東山三条駅に改称
    1997(平成9)年
    御陵駅ー京津三条駅路線廃止に伴い廃止
    地下鉄東西線東山駅として開業

旧京津線跡

京都の家並みに今も残るかつて路面電車が通った証

京都の街並みといえば「碁盤の目」。区画整理が進んでいるだけに、斜めを描く街並みは目立ちます。そうした不思議な空間は路面電車跡かもしれません。京津電気軌道は開業当時、幅の狭かった三条通の北側を迂回していました。地下鉄東山駅の北側に点在する、斜めに切り取られた駐車場や路地はその名残。京津電気鉄道の線路跡です。路面電車は幾度かルートを変更し、廃線となって姿を消しましたが、家並みまで変えることはできません。線路は人の暮らしにも大きく影響するものですが、こうした歴史の名残も、いつかは見られなくなってしまうのでしょうか。

◎地下鉄東山駅下車すぐ
交差点にある不自然に斜めな駐車場
交差点近くにある斜めの駐車場

平安神宮

神苑にある京電狭軌1型
神苑にある京電狭軌1型
琵琶湖疏水がもたらした日本初の営業電車

1888(明治21)年、北垣国道京都府知事の命で、田邉朔郎らと水力発電の視察にアメリカを訪れた議員の高木文平は、街を走る路面電車に大きな感銘を受け「京都にも走らせたい!」と強く思ったのだそうです。視察の成果は琵琶湖疏水の水力発電に活かされ、その電力を利用して、京都電気鉄道による電車の営業運転が始まりました。1895(明治28)年のことです。その年は平安遷都1100年。平安神宮造営と第4回内国勧業博覧会のために会場である岡崎公園を経由し、伏見から南禅寺までを結びました。そのゆかりからか、平安神宮境内の南苑には当時の車両が展示されています。
» 平安神宮についてはこちら

◎神苑 8:30~17:30(受付) ※時期により異なる
神苑拝観料 大人600円、小中生300円

◎075-761-0221

◎京都市左京区岡崎西天王町

◎地下鉄東山駅下車 北へ徒歩約10分、
神宮丸太町駅下車 南東へ徒歩約15分

3三条駅周辺

  • 三条駅 過去の写真
  • 三条駅 現在の写真
  • 京津線 京津三条駅/地下鉄東西線 三条京阪駅 1912(大正元)年
    京津電気軌道 三条大橋駅として開業
    1923(大正12)年
    京阪電気鉄道 三条駅の横に移転
    1925(大正4)年
    合併により京阪電気鉄道 三条大橋駅となる
    1987(昭和62)年
    京津三条駅に改称
    1997(平成9)年
    御陵ー京津三条路線廃止に伴い廃止
    地下鉄東西線三条京阪駅として開業
  • 京阪本線 三条駅 1915(大正4)年
    京阪電気鉄道 三条駅として開業
    1949(昭和24)年
    三条総合駅竣工
    1969(昭和44)年
    京阪線と京津線の連絡線撤去
    1987(昭和62)年
    地下化

三条駅

琵琶湖疏水と鴨川に沿って三条と奈良を結んだ幻の線

三条駅は時代とともに、さまざまな変遷を遂げてきました。まずは大正時代、ふたつの三条駅が誕生。京津電気軌道の三条大橋駅と、京阪電気鉄道の三条駅です。1987(昭和62)年に七条駅以北が地下化すると本線の三条駅も地下へ、地上には京津三条駅が残りました。さらに地下鉄開通によって京津三条駅が廃止され、現在の形となりました。意外な歴史が奈良電気鉄道(現・近鉄京都線)の乗り入れです。戦後すぐ1945(昭和20)年12月から丹波橋駅と共同使用駅になったことで、三条から奈良への直通、京都駅から京阪電車の宇治駅など、今では考えられないようなルートがありました。
かつての京阪線の線路は、三条から琵琶湖疏水と鴨川に沿って地上を走っていました。ゆるやかなスピードで走る当時の車窓に広がる風景は、さぞ旅情にあふれたものだったでしょう。

◎三条駅
奈良電(左)が乗り入れた三条駅
奈良電(左)が乗り入れた三条駅

じつは京阪電車も田邉朔郎にお世話になりました

びわ湖からの水と鉄の路が
キーマンの手で再び出合う

びわ湖に始まる"水の路"琵琶湖疏水と、都市の近代化や生活の向上を願ってつくられた"鉄の路"。異なる歴史を刻んできたふたつの路は、ふとしたきっかけで重なり合うときを迎えます。京阪電気鉄道の開業にあたり、京都市内の特に塩小路と五条の間には民家が密集しており、線路用地の確保が難しいという問題が浮上。「疏水の堤防を拡張して、その上に線路を通しては?」という京都府からの提案を受け、土木技術の専門家に堤防の調査を依頼しました。その専門家とは、ほかならぬ田邉朔郎。琵琶湖疏水プロジェクトの中心人物です。調査の結果、堤防の拡張で洪水は起きないことを確認。鴨川の堤防上に、線路を通すことに決定しました。
1915(大正4)年、五条から三条まで区間を延伸した際も、鴨川の堤防と疏水に挟まれる場所に駅を新設。この頃、疏水上にあった駅の構内には、水が流れゆく音が響いていたといいます。"水の路"と"鉄の路"。びわ湖に始まり、一度は分かれて進んだふたつの路が、大津、京都、そして大阪へと伸びるターミナルの三条で再び出合い、寄り添って走ることになるとは、どこか運命を感じさせます。

かつての三条駅は疏水の上にありました

かつての三条駅は疏水の上にありました

1975(昭和50)年頃 鴨川堤を走る旧3000系

1975(昭和50)年頃 鴨川堤を走る旧3000系

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