京都ツウ・ウオーク

建仁寺

「京の禅寺に秘められた歴史と文化」~高尚な世界が広がる禅を感じに~

今回は「京の禅寺に秘められた歴史と文化」をテーマに、京都市内にある禅寺を訪ね、その世界観を感じていきます。

レポート風景

集合は祇園四条駅の改札口。小雨模様の天気でしたが、いつものように多くのお客さまが参加されました。

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地上に出ると、目の前に南座。江戸時代、京都には常設の芝居小屋が7つありました。現在でも唯一残っているのが南座です。四条通をはさんだ北側には「北座」と書かれた建物が見えます。現在は和菓子店の建物ですが、そこもかつては芝居小屋・北座があった場所なのです。

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四条通を東へ少し歩くと仲源寺(ちゅうげんじ)があります。
地元では「めやみさん」と呼び親しまれています。創建は平安時代の中頃。宇治・平等院の阿弥陀如来坐像(国宝)を刻んだ仏師・定朝(じょうちょう)が手掛けたという地蔵菩薩像がご本尊です。
その昔、大雨が続いて鴨川が大氾濫したとき、人々が「雨が止みますように」とこの地蔵菩薩に祈願したところ雨が止み、そのことからいつしか「雨やみ地蔵」と呼ばれるようになりました。

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そして時が流れて室町時代のこと。この地蔵菩薩を信仰していた老人が目を病み、毎日「目が治りますように」とお参りしたところ病が癒え、代わりに地蔵菩薩の右目が赤くなっていたため「雨やみ地蔵」から「目疾地蔵」と呼ばれるようになったそう。
現在でも眼の病気に悩む人がご利益を求めて訪れ、毎月23日の13時からは眼病平癒の祈願法要も行われています。

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仲源寺を出て、祇園のまちなかを歩きます。花見小路通は京都風情を味わえる人気の通り。大勢の人が散策を楽しんでいました。

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建仁寺に到着しました。
禅宗のお寺は大きく分けて、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の3つに分かれます。建仁寺は、鎌倉時代に京都に一番最初に創建された臨済宗のお寺です。
創建は栄西(えいさい・ようさい)禅師で、現在の岡山県に生まれ、14歳で天台宗の比叡山延暦寺に入門し、14年間修行に励みました。その後、中国へ渡り、教えが盛んであった臨済宗を学びました。
帰国後、栄西が説いた教えが大変素晴らしいとの噂が鎌倉幕府2代将軍・源頼家(みなもとのよりいえ)にまで届き、京都の直轄地が与えられ、建仁寺創建に至りました。

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建仁寺の塔頭(たっちゅう)のひとつ、両足院(りょうそくいん)を訪ねます。
ここは通常は非公開で、初夏や新春の一定期間に公開されます。また、事前に申し込めば坐禅や写経を体験することができます。坐禅は、大自然の中で行ったお釈迦様が悟りを開いたことから、臨済宗の修行のひとつになっています。そのため禅宗のお寺の庭は自然界を凝縮した造りになっています。

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両足院は、龍山徳見(りゅうざんとっけん)の開山。おまんじゅう発祥の地とも言われています。龍山徳見を慕って中国から渡ってきた弟子の林浄因(りんじょういん)が中国のマントウという食べ物からヒントを得て考案しました。パン生地の中に肉のかわりに小豆を入れたところ評判になり、お茶菓子として出されるようになりました。

こちらのお寺は美しい庭があるのが特徴です。特に書院前に広がる庭は池泉回遊式になっていて、池の周囲を散策すると場所によって違う景色が楽しめます。6月には葉が白くなり花が咲いているように見える「半夏生(はんげしょう)」が見頃を迎えます。
庭園には「水月(すいげつ)亭」という茶室があり、材木商から後の百貨店となった白木屋の創業者・大村彦太郎の尽力によって建てられました。両足院は、町衆に支えられてきたお寺なのです。

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また、境内には毘沙門天堂があります。本尊の毘沙門天像は、高さが約7cmしかありません。関ヶ原の戦いの際に黒田長政が内兜に忍ばせて戦い、味方についた徳川軍が勝利したことから「勝利の神様」として信仰されるようになりました。元は鞍馬寺の本尊の体内仏でした。

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お堂の手前には「阿吽(あうん)の虎」が置かれています。これは毘沙門天が寅の年の寅の日の寅の刻に降り立ったということにちなみ、お使いが虎とされているからです。虎つながりで阪神タイガースファンもお参りに訪れるとか。

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さて、建仁寺に戻ります。
臨済宗のお寺は伽藍の配置に決まりがあります。 北から順に、方丈・法堂(はっとう)・仏殿(ぶってん)・三門・勅使門とほぼ一直線に並び、その東に浴室、西には東司(とうす)があります。また方丈の隣には、お寺の台所である庫裏(くり)が建てられています。
残念ながら、京都のお寺には全てそろっているところはありません。

法堂は、師匠から弟子へ、また参拝者に法(教え)を伝える場所になります。内部には基本的に何も置かず、天井にはよく龍の絵が描かれています。天高く空に登り雲をわき起こして雨を降らせることから、仏教の教え、仏法の雨をあまねく人々に降らせるようにという意味が込められています。また、水の使いである龍に火災から守ってもらおうという願いもあるそうです。
法堂の南側に、かつてはご本尊をおまつりする仏殿が建てられていました。火災に遭い再建はされず、ご本尊は法堂に安置されています。

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境内の東端には茶碑が建てられています。中国留学中に病気に倒れた栄西禅師が、中国の僧から勧められたお茶を飲んだところ病気が治り、その効果に驚いて日本に戻るときにお茶の種も持ち帰りました。その種を京都の西にある高山寺の僧・明恵上人(みょうえしょうにん)に分け与え、お茶を広めさせたのです。茶碑の東側に小さな茶園が広がっています。

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こちらは開山堂。「開山」とはお寺を建立した僧のことです。ここに栄西禅師がまつられています。

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敷地の東側には浴室が建てられています。いわゆる風呂ですが、今のような湯船にお湯を溜めて入るのではなく、サウナに近い形のものになります。スノコ状の床の下でお湯を沸かし、蒸気を浴びます。風呂も修行のひとつ。身を清めるためにあります。

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こちらは三門です。
門とは一般の世界と仏の世界の境界で、正式には「三解脱門(さんげだつもん)」といいます。仏様の世界へは修行して煩悩を取り払ってからでないと入れませんが、一般の人にはそれができません。そのため、三門をくぐることで煩悩が落とされ、仏様の世界に入ることができるのです。

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勅使門です。天皇の使いである勅使だけが通れる門なので、通常は閉ざされています。

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建仁寺の塔頭・禅居庵(ぜんきょあん)に来ました。
創建は建仁寺第23世の清拙正澄(せいせつしょうちょう)で、中国の僧でしたが、後醍醐天皇の求めで日本に渡来し、建仁寺の住持を務めました。
鎮守堂の本尊・摩利支尊天(まりしそんてん)は元インドの神で、仏教の中に取り入れられて仏となりました。このお姿は7頭のイノシシの上に座っていることから、境内にはイノシシの像がたくさんまつられています。開運と勝利のご利益があるとされ、また亥年生まれの人の守り本尊として信仰されています。

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最後の訪問地、恵美須(えびす)神社です。
この神社と栄西禅師には深い関わりがあります。栄西禅師が臨済宗の教えを学んで日本への帰路につく途中、船が大嵐に遭ってしまいます。海上に向かって祈ると、どこからともなく恵比須神が現れ、たちまち嵐が収まり、無事日本に帰り着くことができました。建仁寺を建てるより先に、鎮守社としてこの神社を建ておまつりしたそうです。また、「この神社と向かい合わせに自分の廟を建てて欲しい」と遺言し、実際に開山堂は恵美須神社と向かい合わせで建てられています。

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恵美須神の耳はちょっと聞こえにくいそうで、本殿にお参りした後は、必ず本殿の横の戸板をトントンと軽く叩いて、念押しをしないといけないそうです。

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この後、少し寄り道をし、六道の辻の石碑がある六道珍皇寺、それから六波羅蜜寺を訪ね、解散となりました。

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1つ1つ訪ねていく中、今までに知らなかったこと、気付かなかったことがたくさんあり、とても充実した散策となりました。

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