京都ツウ・ウオーク

無鄰菴

「日本美の粋が感じられる京の別邸」~南禅寺界隈に残る別荘庭園群~

今回は、山縣有朋の別邸である無鄰菴を中心に、南禅寺周辺の美しい邸宅や庭を巡ります。

レポート風景

当日はあいにくの雨模様でしたが、京都ツウ・ウオーク第11回目が開催されました。テーマは「日本美の粋が感じられる京の別邸」。南禅寺界隈に残る別荘庭園を巡ります。
集合は三条駅です。

レポート風景

三条通を東へ歩いて行きます。

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途中、白川沿いの道を北に折れます。
この辺りは平安時代末期、白河天皇が営んだ御所があり、法勝寺(ほっしょうじ)というお寺が大伽藍を並べて建っていました。
大地震や落雷による火災などで焼失してしまいますが、明治時代に行われた一帯の開発によって、琵琶湖疏水を活用した川や池のある庭園が多く存在するエリアとなりました。

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さらに北へ歩くと、琵琶湖疏水が見えてきます。
明治になると、京都の人口は激減し衰退の危機を迎えました。それをストップさせるための政策の1つが琵琶湖疏水の事業だったのです。
びわ湖の水は飲料・農業・防火用として使用されたほか、日本で最初の水力発電所として、電気が作られることになったのです。この電気で日本最初の電車が走り、京都の工業発展に大きく貢献しました。また、この豊かな水によってこの辺りでは作庭が発展しました。

レポート風景

ここには大きな鳥居が立っていて、その先に平安神宮があります。
平安神宮は京都の神社の中では非常に新しいものになります。
1895(明治28)年に平安遷都1100年を記念してこの地で第4回内国勧業博覧会が行われ、その際に社殿が建てられました。
このあたり一帯、岡崎というエリアは、明治を迎えたときに非常に大きな役割を果たした場所になります。

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京都市美術館を抜けて、庭の側を通って裏側に出ると目の前に京都市動物園があります。

京都市動物園は、1903(明治36)年に作られ、東京の上野動物園に次いで日本で2番目に古い動物園になります。
7~8年くらい前から「動物それぞれがもっている特徴を生かした展示方法」に変更しつつ、楽しい動物園の見せ方というのを工夫されているそうです。

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白河院跡に到着しました。
平安時代、この場所には藤原良房というお公家さんが別荘を営んでいました。その場所を献上された白河天皇によって白河院が作られました。
そして1918(大正7)年に下村家という呉服商を営む豪商によって作られた別邸となり、現在は宿泊施設として使われていて、申し込めば庭の見学も可能です。

レポート風景

門をくぐって中に入ると大きな池があります。
この辺りの別荘の庭の特徴は、池が中心であることです。びわ湖の水をたくさん取り入れた池で、周りを歩いて楽しめる池泉回遊式といわれる庭となっています。

レポート風景

ここの庭は7代目小川治兵衛によるもので、明治~大正にかけて多くの庭を手掛けた作庭家です。
また、日本家屋は武田五一の設計で、京都市役所なども手掛けた非常に有名な建築家です。
庭は小川治兵衛、建物は武田五一と、当時のスーパースターが競演した空間を、みんなでゆっくりと見学しました。

レポート風景

さらに東へ向かいます。
ある一画から細い道に入っていくと、両側には風情ある建物が並んでいました。
この辺りには、多くの別荘が集まっています。

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こちらは1928(昭和3)年に野村得七という人が建てた別荘です。
野村証券、野村生命、野村銀行(現・りそな銀行)など、いわゆる「野村財閥」の創始者です。
当時、日本は外国からの文化をどんどん取り入れて急成長していった時代です。
その反面、失われていく日本文化を守るために絵画・書・茶道具などの作品を収集し、当時は建物とともに一般に公開していたそうです。
現在は収集されたコレクションのみ、この裏側にある野村美術館で春と秋に公開されます。

レポート風景

前の道は、春に見事な桜が咲き誇ります。

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こちらは1291(正応4)年に創建された、臨済宗南禅寺派の総本山である南禅寺です。
この場所は、亀山天皇が別荘を営んでいたところでしたが、臨済宗に心を寄せ、別荘をお寺に改めるという形で歴史がスタートしました。
その後も天皇とのゆかりが非常に強く格式の高いお寺として歴史を刻んできています。
京都の臨済宗のお寺には、五山という制度があります。特に格式が高いものを上からランク付けしたもので、南禅寺は五山のさらに上の格式をもっています。
また、南禅寺の三門は、歌舞伎の演目「楼門五三桐」の中で、大泥棒石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と見得を切るシーンに登場します。
実際には、この三門は室町時代に応仁の乱で焼けてしまい、江戸時代に現在の門が再建されました。石川五右衛門は安土桃山時代の人物なので、その時代にはこの門はなかったことになります。

レポート風景

三門の右手に大きな灯籠があります。
あまり存在感がありませんが、高さは6メートルもあります。
佐久間灯籠と呼ばれ、佐久間勝之という人が奉納しました。
日本三大灯籠の一つで、他は東京上野、名古屋の熱田神宮にあります。

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本堂にやって来ました。
仏様を守る守り神であることから、天井には龍が描かれています。
また、天高く舞い上がって雲をわき起こして雨を降らせるといわれていることから、「雨が降り注ぐように仏様の教えがみんなに降り注ぐように」ということも願っています。
そして、水を連想させる生き物を描くことで、このお堂を火災から守ってもらおうという願いも込められています。

レポート風景

テレビドラマでもお馴染みの水路閣です。
非常に趣のあるレンガの建物がしっくりと風景に溶けこんでいますが、明治に作られたときには大反対が起こったそうです。
今ではすっかり名所のひとつとなっています。

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無鄰菴に到着しました。
山縣有朋の別荘として1894(明治27)〜1896(明治29)年にかけて建てられました。
山縣有朋は、琵琶湖疏水が完成したときの式典に総理大臣として出席し、この地を非常に気に入ったといいます。
そこで、敷地の大半を庭園が占める別荘を建て、無鄰菴と名付けたのです。
ちょうど琵琶湖疏水を利用した発電所が完成したことからこの辺りの工業地化が中止となり、一帯は疏水の水をふんだんに引き込んだ別荘群が建てられるようになりました。

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庭は7代目小川治兵衛によるもので、琵琶湖疏水の水がゆったりと敷地内を流れています。

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庭を眺めながら、お茶とお菓子で一服することもできます。

レポート風景

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建物は、木造の母屋、茶室のほかレンガ造りの洋館があります。
洋館には、1階に小川治兵衛の資料が展示され、2階は応接セットなどが並べられています。
山縣有朋、伊藤博文、桂太郎ら当時の政治の中心であった人たちが集まり、日露戦争の開戦を決める「無鄰菴会議」がこの2階の部屋で行われました。

午後の部からはあいにくの雨になりましたが、水に濡れて潤い、鮮やかな緑色であふれる庭園をいくつもみることができました。
また次回はどんなテーマでどんな場所に行くのか、お楽しみに!

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